梅月堂について

ABOUT 
BAIGETSUDO

梅月堂のいつもの。

わたしたちにとって、お菓子づくりは日々のこと。いつものことです。お菓子の先にあるお客さまにとっては、そのお菓子がとても大事な瞬間をいろどるものかもしれません。日々のなかの、ものすごく特別な時間にあるものかもしれません。いつものこと、だからこそ、いつも大事に、ていねいに紡いでいきたいのです。

making

いつもの、
お菓子づくり

手づくりで受け継がれる
梅月堂のお菓子づくり

まいにち、まいにち、梅月堂ではたくさんのお菓子がつくられています。洋菓子のベースになるものは生地ですが、ひとことで生地といっても、いろいろな種類があります。生地によって材料の分量がちがうのは、あたりまえ。たまごの使い方、たてかた、粉のあわせかた、混ぜ方、ひとつひとつの工程はいきものを扱うように手づくりしています。それこそ、その日の天気や湿度、材料の状態によって、職人が目と手、経験から編み出した感覚で加減をしています。「これだけの多くのお菓子を、手づくりで?」と驚かれるかもしれません。それでも、すべて機械化できないところに、梅月堂の味は継承されているのです。

いつもの、
材料えらび

RECIPE

長崎で育ったから
できるだけ長崎のものを

むかし、むかしは、洋菓子の材料を、地域のもので揃えることは難しいことでした。長崎で生まれ育った梅月堂だからこそ、長崎のことをよく知っているお店だからこそ、取り組むことができる材料えらびがあるはず。そこで、お菓子づくりで欠かせない小麦、たまご、抹茶、そしてフレッシュフルーツなどの材料は、長崎県産のものをえらんでいます。とても近いところに、材料をつくっている農家さんがいること。季節のうつりかわりとともに、お菓子づくりに向き合うこと。県産の材料を意識的につかうことで、大事にしたいことがまた増えました。

Hospitality

いつもの、
おもてなし

お菓子の先にあるものを
見つめていたい

街の洋菓子屋さんとしてのわたしたちのおもてなしは、想像することからはじまります。「このお菓子はだれのためのもの」「結婚記念日? 誕生日? いつものおやつ?」そんなことをお客さまと会話することで、そのはしばしで感じるものを受け取って、いっしょの目線でお菓子をえらぶことを大事にしています。その想いは、梅月堂ができたときから、ずっとずっと受け継いできたもので、これからもずっとずっとつないでいくものだと思います。「あなたにお菓子を選んでほしい」といわれることが、わたしたちにとってなによりもご褒美なのです。

いつもの梅月堂が、
できるまで

明治27(1894)年、長崎市大浦町に和菓子司として創業した「梅月堂」。時はめぐりめぐって130年。長い道のりのようですが、日々の、いつものことを積み重ねて、ここまで歩んでまいりました。創業当時から、世の中はずいぶん変わりましたが、いまも変わらずに伝わるお菓子文化。これからも、ここで、いつもの日々を積み重ねて、伝えていきたいと思います。

Episode

SINCE1894-

Episode

SINCE1894-

和菓子匠三人組、
長崎に出る

梅月堂の創業者である本田兼作は、もともと農家の出身。当時、和菓子屋のメッカともいわれた島原から長崎へ、和菓子匠の仲間三人組が店を開きました。それぞれに「松」「竹」「梅」の文字を冠した店名としたと伝わっています。そのなかのひとつが、梅月堂です。創業の地は、長崎市大浦町。それから市内数カ所に店舗を移転し、昭和2(1927)年にいまの浜町に落ち着きます。そう、現在の梅月堂本店です。何度も店を移転したことから、創業からの店の歴史を伝える資料・文献が迷子になって、いま残っていないのがとても残念です。

Episode

SINCE1894-

Episode

SINCE1894-

ドイツ人シェフの、
洋菓子

二代目の藤四郎は好奇心旺盛で、和菓子職人であると同時に、洋菓子にも興味をもって取り入れていたようです。梅月堂が本格的な洋菓子店としてスタートするきっかけともいえそうな、おもしろいエピソードが残っています。時期ははっきりしませんが、長崎に停泊していた船のドイツ人シェフが店の前で酔い潰れていたことがあり、それを店主が介抱したことがありました。そのお礼として、ドイツ人シェフが店にある材料をつかって焼菓子を教えてくれたそうです。それがよほどおいしかったのか、その後外国人と会うたびにお菓子のことを教えてもらっていたようです。材料が手に入れやすくなった昭和30年ごろには、本格的に洋菓子店としてスタートしました。

Episode

SINCE1894-

Episode

SINCE1894-

戦後からの、
営業再開

梅月堂の長い歴史のなかで、やむなく営業を中断したことが二度あります。一度目は太平洋戦争の一時期と、二度目は昭和57(1982)年の長崎大水害で被害を受けたときでした。戦後の営業再開は、昭和21(1946)年に二代目藤四郎、三代目久喜で、かろうじて残っていた店の前でぜんざいをつくることからはじめました。その当時、ぜんざいは飛ぶように売れたそうです。それから3年後には店を再開することができ、昭和30(1955)年ごろには、人混みで歩けないくらい浜町の店の前は賑わっていました。

Episode

SINCE1894-

Episode

SINCE1894-

長崎の文化人と、
お菓子

昭和30年ごろの梅月堂の喫茶室は、画家や文化人が集い、コーヒーとお菓子、おしゃべりを楽しむサロンのような場でもありました。南蛮おるごおるのパッケージでおなじみの版画家の田川憲さんも梅月堂に通っていた長崎の文化人のひとりでした。当時の梅月堂は、長崎県の民芸協会の事務局をやっていたこともあり、文化人とのつながりも深かったのでしょう。そのご縁から田川さんと懇意となり、いまでも愛され続けている南蛮おるごおるのパッケージにつながっているのです。

Message

メッセージ

これからもずっと、
梅月堂の「いつもの」を、
伝え継いでいきます。

130年前、長崎で開業した梅月堂は
地元の人々に支えられ、これまで育てていただきました。
とても長い道のりでしたが、それは日々のこと
いつものことを、愚直に積み重ねてきた年月でありました。
これから、140年、150年と歴史を積み重ねていく中で
どんなに時代が変化しても、技術が進化したとしても
梅月堂の「いつもの」がそこにあり続けるように伝え継いでいきます。
それがどんなに小さなことであっても、
長崎に伝わる文化、洋菓子の文化、お菓子のもつ魅力を
守り継いでいくことにつながると信じています。

これからも、たくさんの方にお菓子を通して
おいしい文化をお伝えし、だれかの特別な日に寄り添いながら
梅月堂の「いつもの」をお届けします。

COMPANY

会社概要

会社名
株式会社 梅月堂
代表者名
代表取締役 本田 時夫
所在地
長崎県諫早市多良見町市布1530
創業
明治27年3月(1894年)
資本金
2,000万円
従業員
65名
事業内容
洋菓子・和菓子の製造販売、喫茶店

History

沿革

明治27年3月(1894年)
長崎市大浦町に、初代 本田兼作が「梅月堂」を創業。
大正2年3月(1913年)
二代目 藤四郎が長崎市元石灰町に移転。
昭和2年3月(1927年)
浜町に「梅月堂本店」に移転開業。
昭和33年1月(1958年)
個人経営より法人組織に変更。資本金100万円で、有限会社梅月堂を設立。
昭和58年9月(1983年)
組織変更により株式会社梅月堂を設立。長崎県多良見町市布名字尾上1530に工場新設。
昭和61年10月(1986年)
株式会社梅月堂、資本金2,000万円の増資。
平成26年10月(2014年)
創業120周年を迎える。
令和6年5月末(2024年)
現在店舗数9店。
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